2024年5月3日から公開中のドキュメンタリー映画『ドクちゃん -フジとサクラにつなぐ愛-』。
日本とベトナムの外交関係が樹立してから50年が経過し、この作品は制作された。
50歳を過ぎている人には、ベトちゃんドクちゃんの記憶はとても濃い。
ベトちゃんドクちゃんが生まれたのは1981年。結合双生児として誕生した二人の分離手術に関するニュースがテレビや新聞をにぎわせた頃、私たちは子どもだった。
報道の度に、「ベトナム戦争」「枯葉剤」という単語はインプットされ、恐怖や理不尽は子どもだったからこそしっかり植え付けられた気がしている。それはとても表向きなことだったかもしれないけれど、ベトナム戦争を描いたアメリカ映画を観ても、それがどんなに心を揺さぶるストーリーだったとしても、心のどこかに幼い頃にインプットされた単語とベトちゃんドクちゃんの姿が浮かんだ。
そういう日本人は少なくないと思う。
二人は1988年に分離手術を受けた。ここには日本人医師団も関わり、手術前後も日本との交流がなされているという。その分離手術から実に35年の月日が流れた。
ベトちゃんドクちゃんから、ベトさん、ドクさんと呼ばれる年齢に成長するが、兄のべトさんは術後も寝たきりが続き、26歳の時にこの世を去った。
ドクさんは、進学し結婚をし、家庭を持ったと、これも報道で知っていた。
引き続き「ベトナム戦争」「枯葉剤」という単語はインプットされてはいたし、さまざまな障害を持って生まれる可能性があることも忘れ去ったわけではないが、この事実を誰かに伝えたり、誰かと話したことがたとえば今から10~20年の間にあったかと問われれば、NOだったと思う。
そのことにしっかりと気づかされた。しかもこの間に、戦争に用いられる兵器はもっと殺傷能力が高く、恐ろしく進化(進化なんて言いたくないけれど)しているのだ。
戦争は今も世界で続いている。
42歳になった弟のドクさんは、ベトナムで暮らしている。彼には妻と双子のフジとサクラという子がいる。この映画では、ドクさんとドクさんの家族の暮らしの今を近距離で伝えている。
2009年生まれのフジさんとサクラさんは、とても家族思い。ちょっと照れ屋で、でも家の手伝いを当たり前にし、学校へ行き学ぶ。お小遣いをねだりもするし、父親の体を気遣うことも。
ベトさんは、バイクにも乗り、病院での仕事もこなすが、自身の体には痛みを伴う大きな障害、病を抱えている。
映画の中で、息子のフジさんと、娘のサクラさんが、父親の生まれた当時の姿やその背景を知り、話を聞くシーンが出て来た。この年齢になるまで、それを伝えることはなかったのだと少し驚いた。
驚いたのは私の中では過去の出来事のように印象づいていたことの証なのだと知った。
ドクさんとドクさん家族にとっては終わることのない現在であり、いつでも開けたり閉まったりできるような気軽なことではないのだから。
家族の前では柔和な顔も、素直な言動も見せるドクさんが、とても重い感情と向き合うシーンも出てくる。その時の表情の険しさをしっかり目に焼き付けた。
戦争が奪うものの多さと重さと長さを、インプットした。
ベトナムの町並みが映るからといって、家庭での食事シーンが映るからといって、ベトナム料理が食べたくなるドキュメンタリー映画ではない。
食べ頃なんていうのをやめようかとも思ったが、映画を観終わった後に口にしたいなと思ったのは、黒糖菓子。
例えば、黒糖ねじりとか、黒棒とか、黒みつのかかったくずもちとかみつ豆とか、黒飴でもいいかもしれない。
口の中でじわりと溶かして、喉に、腹に、黒糖の甘さを染み渡らせたい。
そうやって浸透するように、映画を観て感じた思いを、素朴な感想を誰かと語りたいのだ。
語らなくては……なのだ。
50代以上の人は特に、過去の記憶みたいになっているものをしっかり開いて、誰か、出来れば若い人と語って欲しい。
私もそうしようと心に強く思っている。
(Kuri)