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八月の鯨

ドラマ

白髪というか銀髪の老女、リビー
口をつけば皮肉ばかり。目が不自由になり、妹に頼らざるを得ない自分をはがゆく思っているのだ。
娘も寄り付かない。
妹のセーラは、姉の面倒をみつつ庭の花を摘み、部屋を整える。亡き夫を今も思いながら。

八月には家の前の入り江から鯨が見えた。「八月の鯨」が。
若い頃の二人は輝いていた。
姉の髪をブラッシングしながら、昔をなつかしみ、今を憂う。
こう書くと絶望しているようだが、彼女たちはそれをゆっくりと受け入れている。
こう書くと達観しているようだが、彼女たちには、やはり抗う気持ちがある。
なんとも人間らしい。
つくづく思う。自分はその時、こんな風にいられるのかと。

映画に出てくる情景はどれも美しい。
目の前の入り江はどこまでもキラキラと輝き、凪いでいるし。
少し散歩に出れば、若い頃、二人の母が植えたあじさいが咲き誇っている。
日本では六月の雨が似合う花というイメージだけれど、八月のあじさいも風情がある。

入り江に向かって大きな見晴らし窓をつけようと提案する妹・セーラに。
「私たち新しいものを作るには年寄りすぎるわ」というリビーの言葉が重い。
そして、この言葉が、物語のラストにあたたかさをじわりと染み込ませてくれる。

テーブルには、全粒粉のビスケットを用意しよう。
その横にはヨーグルトとフレッシュブルーベリーを添えて。
いつどんな来客があっても、出せるのはビスケットくらいのもの。
飾り立てるのではなく、目の前にいる人、目の前にあるものを慈しむことが、
たぶんしあわせなのだよね。

ビスケットを食べると、瞬間、口の中がジュワッとあたたかくなる感じがそれに似ている気がして仕方がない。
(Kuir)




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