羅生門

By tabecine, 2017年11月30日

古い映画を見ると、「あれ、この映像って……」と気になることがよくある。
その後、たくさんの作品に影響を与えたであろう証拠なのだろう。

黒澤明の「羅生門」にも、そういうシーンがたくさんあった。
もっとも、それ自体がもっと古い作品や、別の何かから影響された上での
ことなのかもしれないけれど。

芥川龍之介の「籔の中」を原作としたこの作品は、
ヴェネチア国際映画祭で金獅子賞を獲得した。
黒澤明監督が、世界のクロサワと呼ばれるようになった理由の一つでもある。

この映画を夜中に観た。 
まさに「籔の中」だった。
ちなみに、「籔の中」という言葉は、芥川のこの小説から、いくつもの見方が働き、

真相がわからないことを意味する言葉として、辞書に載る言葉だ。
言葉って作品のタイトルからも生まれることがあるんだよなぁ、などと改めて思う。

話を映画に戻そう。
三船敏郎演じる多襄丸、京マチ子演じる真砂、どちらも圧倒的なオーラがある。
物語はこうだ。
山の中で男が死体で発見される。
検非違使では状況証拠から犯人、被害者、関係者として取り調べられることになる二人。
ここに死んだ男(侍)も加わり、それぞれ証言を始めるのだが、三者の証言は食い違っていた。

無骨でガハハと笑い、己の行いを正当化するように語る多襄丸には、

共感できないが、「こういう人いるよね」と、何か肯定はしないけど
納得させられてしまうし、

妖艶で、気が強く、己の選んだ道を演じるようにして聞かせる真砂は、

納得はできないが、「こういう人いるよね」と、思い当たる節がある。

巫女の姿を借り、霊となって語る男・真砂の夫、金沢(森雅之)には、

認めたくないが「こういう人いるよね」、「多分一番多いよね」と、
やけに冷めた思いがしたりしてしまうのだ。

そうか、こういうことなのか、人間ってヤツは。
映画は、タイトル通り、芥川のもう一つの作品「羅生門」でのそま売り(志村喬)、

旅法師(千秋実)、下人(上田吉二郎)がはじめと終わりに出て来て物語を進めるのだが、
この3人もまた、誰かに似ているような、どこかにいる人の象徴のような。

ぐるぐるの頭の中が混乱していく感じだから、糖分を補給しよう。
今川焼きがいいだろう。個人的には絶対の粒あん派だけど、中身の好みは人それぞれだ。
白あんとかみそあんなんて場合もあるし、カスタードとか、チーズなんてのもある。

それより何より、
大判焼きともいうし、回転焼きという人もいるわいな。
太鼓焼きと言ったり、取り扱う店の名で呼ぶこともある。
そうか、そういうことか。
今川焼きで糖分を補給出来たら、「籔の中」から抜け出せるかもしれない!? 
(kuri)

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